[T-003-3]雑誌『広告』流通号

  • 2020

物流空間試考

都市のブラックボックスとしての物流空間

物流のための空間というと、どういう場所を思い浮かべるだろう。

コンテナ船が発着する港、たくさんのトラックが待機している駐車場、スチールラックが整然と立ち並ぶ巨大な倉庫。もしかしたら閉じた空間ではなくて、血管のように大地を巡る高速道路なんかを思い浮かべた人もいるかもしれない。

ところで、いま思い浮かべた空間のなかに「人」はいただろうか。おそらく、無人もしくはそれに近い状態だったのではないだろうか。そもそも物流のための空間といわれても、あまりピンとこないという人がほとんどかもしれないけれど。

住宅なら住民、店舗なら店員と客、病院なら医療従事者と患者のように、建築はそれを主に使う、空間の主役となる「人」のために設計されている。一方で物流空間の主役はあくまでそこに保管され、さばかれ、行き交う「もの」なので、そこで働く作業員や倉庫番という人の印象が薄いのだろう。

実は人が主役でない空間は意外とたくさんある。身近なところでいうと、建物のなかのパイプスペースやダクトスペースは文字どおりパイプやダクトのために用意された空間で、なかに入ることすらできない。ボイラー室や機械室といった部屋も、滅多にあるいはまったく立ち入らないし、大体の場合、奥や裏などの目立たない場所に配置されているので、設計者でもない限り、普通に生活をしているぶんにはこうした空間を意識することはまずないだろう。そもそも存在すら知られていないこともあるかもしれない。

意識の外にある盲点やブラックボックスのような空間。

現代の物流空間はまさに、都市のなかにおけるそんな場所のひとつではないだろうか。物流自体は経済活動において最重要な要素のひとつであることは疑いようがないし、ネットショッピングなどの需要がますます高まるなかで、宅配サービスの恩恵を感じない人はいないだろう。それでも、ハードウェアとしての物流空間を日々の生活のなかで意識することはほとんどない。まるで黒子みたいに。

物流空間のなかでもとくに「倉庫」は、近年のeコマース市場の拡大もあって大規模なものが急激に増えているという。人知れず、都市のなかにブラックボックスが広がっている。

確かに日頃のネットショッピングの利用頻度を考えると、全体で見るとものすごい量の荷物が日々倉庫を出入りしているのだろう。歴史的に見ても、もっとも倉庫が必要とされている時代なのかもしれない。それでも、倉庫の建設ラッシュが渋谷の再開発みたいにメディアを騒がせることはない。はたして人と倉庫との関係は、昔からこんなにも希薄だったのだろうか。

-倉庫はかつて神殿だった

2015年、年末。エジプトのピラミッドが王家の墓ではなく、実は穀物の倉庫だったのではないかという説が一部の業界をにぎわせた。

それを否定する論拠のほうが多かったため、いまではあまり有力な説とはいえないらしい。それでも、ピラミッドほどの文明を代表する建造物の機能が、現代ではほとんど注目されることのない倉庫だったかもしれないという、そのギャップは興味深い。

倉庫建築の歴史は古く、文明がおこった当初からすでにあったとされている。主に稲やトウモロコシ、小麦などといった食糧を備蓄するためのいわゆる穀倉は、もっとも古いもので紀元前9,500年代のヨルダン川西岸地区に存在したことがわかっていて、メソポタミア文明や古代エジプト文明の発展に強い影響を与えたと考えられている。現存する最古の倉庫は、紀元前1270年頃ルクソールに建設されたラムセス2世の広大な葬祭殿内にある。日干し煉瓦でヴォールト天井を組むという当時における最先端の建築技術を用いていることからも、当時倉庫がどれだけ重要な施設だったかをうかがい知ることができる。倉庫の規模はそのまま食糧の備蓄量を表し、権力者にとって自らの力の象徴でもあった。

『The Pyramids and Temples of Gizeh』(フリンダーズ・ピートリー、1883年)に描かれているピラミッドの断面図 画像:「The Giza Archives」ウェブサイトより

日本でも、地面より高いレベルに床を組むことで、湿気や害獣、そして洪水などの水害から食糧を守る高床式倉庫が弥生時代に登場している。弥生時代は本格的な農耕が始まった時代でもあり、同時に穀霊信仰が広がった時代でもあった。穀霊が祀られている高床式倉庫は自然と信仰の対象となり、ある種の神殿としての機能も果たしていたといえる。伊勢神宮などで見られる「神明造り」と呼ばれる神社建築様式は、この高床式倉庫の造りが変化していったものだと考えられている。神明造りでは食糧ではなくて神の依代としての神宝が納められているけれど、人以外のためにつくられた空間という点で倉庫と共通している。自分から遠いものとして、人々は倉庫を信仰の対象として神格化し奉っていた。古代の倉庫は、現代の倉庫とは異なり日常のなかに堂々と象徴として存在していたのだ。

『地理写真帖. 内國之部第3帙』(野口保興編、東洋社、1900年)に掲載されている伊勢神宮「外宮」の写真 画像:「国立国会図書館」ウェブサイトより

-倉庫があり、都市が始まった

中世ヨーロッパで、船による海洋交易が盛んに行なわれるようになると、倉庫は食糧を保存する単体の機能だけではなく、港に運ばれてくる物資を受け止め、陸運で国内に流通させるまでのバッファ装置として、都市のインフラに組み込まれていく。

古代ローマの外港都市であったオスティアには、ホッレウムと呼ばれる大規模な倉庫群が建設され、ローマへ向けて出荷する食糧や資材を大量に貯蔵していた。同時に船の維持管理に必要なドックを配置したり、商品の積み下ろしや荷捌きのために岸壁を整備するなど、倉庫単体だけでなく、物流に必要な様々な機能を一体的に開発することで、オスティアは商業都市としての地位を確固たるものにしていった。

フェルナン・ブローデルはその著書『物質文明・経済・資本主義』のなかで、アムステルダムの都市としての発展について次のように語っている。

アムステルダムでは、万事が集中であり集積であった。(中略)倉庫はすべてを呑みこみ、ついですべてを吐き出すことができた。(中略)アムステルダムがヨーロッパの物価のオーケストラ指揮者だったのは、そこには商品が豊富に保有してあって、その出し入れを意のままに調節できたからである。

オスティアもアムステルダムも、港湾倉庫を中心として物流をコントロールし、さらには一帯の経済圏を巻き込んで発展していったといえる。倉庫はもはやそれ自体で完結する建築ではなく、都市が生まれ、発展するための核となるビルディングタイプとして戦略的に整備されていった。

-隠蔽されていく倉庫

ところが近代以降になると、この倉庫のあり方がガラリと変わってくる。これまで花形のビルディングタイプだった倉庫が、都市のなかで隠蔽されはじめるのである。

久保秀朗は論文「近代都市における倉庫の空間的変遷」において倉庫の隠蔽について次のように考察している。

(倉庫を)隠蔽するということは、内部を独立させて外部との不正な接触を絶つという役目もあった。19世紀に世界で最も交易の盛んな港湾のひとつであったロンドン港のセント・カサリン・ドックは周囲を高さ6メートルの壁で囲われ厳重に閉ざされていた。そして就労時間中の外出は禁止され、出入りの際には身体検査も施されていたという。これは、当時のイギリスでは密貿易、関税吏の腐敗、港湾労働者の不正が横行していたからであった。閉ざすことで、内部での不正行為を防止する必要があったのである。(中略)資本主義社会では、在庫は不必要なものでできる限りない方がよいとされる。マルクス経済学では、倉庫は経済過程においての付随的な機能であり、流通においてやむを得ず生じた停滞だとされる。また、ボードリヤールの『消費社会の神話と構造』で提唱された消費社会論では、在庫として貯蔵された商品は、消費者の購買意欲を刺激する記号と成り得なかった欠陥商品だとされる。このような近代以降の経済学では、倉庫は富の象徴というよりもむしろ負の象徴なのである。負の象徴となった倉庫はやがて、インフラとしての機能は維持しながらも徐々に生活者の目の届かないところへと追いやられ、その存在を隠蔽されていった。倉庫像は、限りなく現在普及しているブラックボックス的な倉庫のイメージに近いものへと変わっていった。

©Giuseppe Colarusso ロンドンのセント・カサリン・ドック 画像:ゲッティイメージズ

-荷物のための空間

都市のなかで倉庫が隠蔽されていくようになると、倉庫の設計にも変化が現れてくる。

権威的、象徴的であることよりも、合理的、汎用的であることが優先され、計画から建設までのコストを最小限に抑えるために、システマチックな設計が追求されるようになる。倉庫はもはや、極端にいうとコンテナ空間やトラックの荷台と同列のものとして、あくまで物流システムに組み込まれたひとつの装置としての性格を強めていく。普遍的な形式で多様なニーズに応えることができるよう、建築としては特別解ではなく、一般解を出すことが求められ、やがて画一的な独自のビルディングタイプを形成していく。

寸法に関していえば、一般的な倉庫の間口、奥行、柱間隔、有効天井高、通路幅などは、スチールラックやパレットといったマテリアルハンドリング機器の規格寸法や、フォークリフトやトラックの車幅や回転半径などをもとに体系化が進んでいる。

たとえば荷物を載せるパレットの規格は、トラックやコンテナへの積載効率と密接に関係している。日本では「イチイチ」と呼ばれるT11型がJISにより規格化されていて、1,100㎜×1,100㎜×144㎜というサイズが広範囲の業界で共有されている。するとそれを運ぶフォークリフトの大きさも自然と似通ってくるし、今度はそのフォークリフトが効率よく走り回れるように内部空間の通路幅が最適化されていく。

ル・コルビュジェが人体の寸法と黄金比を組み合わせた建築の寸法体系モデュロールを開発したように、倉庫建築は効率的に物流業務を遂行するために、荷物やそれを扱う装置や道具の寸法から最適化された独自のモデュロールによって構成されている。動線計画も荷物の運搬がもっともスムーズにいくように立てられている。ランプウェーを導入することで施設の各階に直接トラックがアクセスできるようにし、搬入口の床面の高さはトラックの荷台と揃えることで積み下ろし作業の効率を上げている。さらにはベルトコンベアや垂直搬送機などの運搬設備の導入は、人が介入しない荷物だけでの移動を可能にした。

ランプウェーで各階にトラックが直接進入できる 画像:「PROLOGIS」ウェブサイトより

断熱や採光、通風などは、倉庫内の温度や湿度を調節し、貯蔵されているものを一定の状態に保つことを目的としてコントロールされる。冷蔵機能を持つ倉庫では保管温度は10℃以下に保たれ、保管温度帯によって細かく等級が分かれている。あくまで荷物のための環境計画なので、冷蔵や冷凍倉庫のなかで働く場合は、人間側で防寒装備を整えなければならない。こうして、当然なかで作業をする人がいるにもかかわらず、「荷物ための空間」としての性格が次第に強くなっていくことで、倉庫設計における人の優先順位は低くなっていった。

-倉庫から物流施設へ

2000年代に入ると、日本では流通革命によってものづくりが海外へ出ていくようになる。製造業において、国外でつくった製品を輸入する倉庫の需要が高まり、反対に国内の工場内に建設された倉庫が機能しなくなっていった。また不景気で企業活動自体も縮小しているなか、国内では倉庫の見直しが盛んに行なわれるようになり、結果として、倉庫は集約統合して大規模化していく。延床面積で最低でも1万㎡、ときには10万㎡を超える規模になると、やがて倉庫はものを貯蔵するだけではなく、物流業務に必要な様々な機能を複合した「物流施設」へと変わっていった。

倉庫が現在の物流施設へと変化していったもうひとつの大きな要因として、深刻な「人材不足」があるという。入荷からピッキング、荷役、出荷作業まで、物流業務は決して単純労働ではない。かつて倉庫はメーカーや商社が自社で保有しているものが中心だったが、サード・パーティー・ロジスティクスと呼ばれる物流専門業者が開発した大型の物流施設を賃貸し、所有・運営・開発のリソースを外部に委託するケースが近年主流になってきている。人材確保に悩む必要がなくなるだけでなく、事業規模の変化に柔軟に対応できる、初期投資を抑えられるなどのメリットがあるこうした賃貸型の物流施設の台頭も、建築規模の大型化につながっている。

人材難に対応するため、テクノロジーを用いて作業効率を上げようとする動きも見られる。荷物の積み込み、搬送、保管、仕分けなどを行なうマテリアルハンドリング機器の自動化は様々な場面で推進されている。パレットの上に荷物を自動積載できるパレタイザや、荷物の収納を自動化する無人倉庫、在庫管理をコンピューターで行なうデジタルピッキングシステムなど、生産性を向上させミスを減らすために導入されるケースが増えている。アメリカのアマゾンは自走式ロボット「ドライブ」が商品棚を移動させることで、従業員が倉庫内を歩き回らずに荷物の積み下ろしなどの物流業務を行なうことができるアマゾン・ロボティクスというシステムを世界各地の拠点において稼働させている。また、中国のアリババにおいても、同様に物流センターのなかをAIが搭載された無人搬送車が走り回っている。最終的にはラストワンマイルと呼ばれる最終拠点からエンドユーザーへの宅配までも配送ロボットが行なう実験が進められているという。最先端のテクノロジーを導入した物流施設ではほとんどの機器にAIが搭載され、もはや施設自体が膨大な注文情報を処理しながら自律的に動く巨大な生き物のような印象さえ受ける。

自走式ロボットが動くアマゾンの倉庫 画像:「MachineDesign」ウェブサイトより

-ブラックボックスの開示

こうしてテクノロジーを用いて人材問題を解決しようとするなか、自動化を進め人間を排除していく過程で労働環境を問題視する声も挙がっている。そうしてますます人材が不足していくという悪循環から抜けるために、物流施設のアメニティを向上したり地域貢献をアピールしたりすることで、これまでのネガティブなイメージを払拭し、業界全体で人材を確保していこうとする動きが活発化している。

現在の物流施設には、カフェテリアやラウンジスペース、託児所といった機能が必ずといっていいほど併設されていて、労働環境への配慮が進んでいる。ヤマトグループが運営する日本最大級の物流施設である羽田クロノゲートでは、一般来場者向けに展示ホールや荷捌きエリア、集中管理室などを90分程度で見学できるルートを公開し、会社としての取り組みを紹介している。

また、自治体と協定を結び、災害時に消防・警察・自衛隊などに物流施設を開放して防災拠点として整備することで、避難者までの支援物資の輸送体制の強化に協力したり、施設駐車場を緊急車両の待機場所として提供したりする民間の物流施設も増えている。環境問題への取り組みも近年注目されている。大規模で広大な屋上を活用し、たとえば緑化することで周辺地域のヒートアイランド現象対策を行なったり、太陽光発電システムを設置することで施設全体の電力消費を抑えたりする試みが見られるようになってきた。

太陽光パネルを屋上に設置している米アマゾンの物流施設 画像:「日経xTECH」ウェブサイトより

これまでの排他的で専門的だった物流施設を、地域に開かれた親しみやすい場所にすることで、社会的地位を向上させようとする意識はますます高まっている。ブラックボックスが開示され、かつてのように倉庫(物流施設)に再び人の目が向けられようとしている。

-荷物の環世界

古来、倉庫は信仰の対象で富の象徴だった。やがて世界経済が回り国家間の流通が本格化しはじめると、その象徴性は徐々に失われ、物流システムの機関のひとつとして倉庫は都市のなかで秘匿、隠蔽されてブラックボックス化していき、とうとう経済における負の象徴のように扱われはじめる。次第に集約統合されて物流施設として複雑化、大型化が進むなか、人材不足は深刻なものになっていった。現在、物流施設におけるマイナスイメージを払拭するべく、エリアマネジメントの視点を取り入れた、様々な取り組みが試みられている。

とはいえ、どれだけカフェやラウンジを併設したとしても、物流施設内における「倉庫空間」それ自体の特異性は変わっていない。人間の身体感覚ではない論理で設計された空間。物流倉庫だけではない。整然とコンピューターが並ぶデータセンター、貴重な書物が詰まった書庫で埋め尽くされた閉架図書館、札束の積み重なった銀行の大金庫。もののためにものの目線で設計された空間は、人間目線の設計では計画できない、ストイックで非日常的な魅力をはらんでいる。だから物流倉庫のなかで直接買い物をしているようなイケアやコストコの空間はワクワクするのだ。明治時代に建設された港湾の赤レンガ倉庫は、横浜や函館、敦賀などで商業施設として転用されている。こうした赤レンガの倉庫群は、歴史を象徴する建築として文化的にも貴重なものであり、非日常的な体験を求める商業施設ととても相性がいい。また、ヴェネチアのプンタ・デラ・ドガーナは、15世紀に建てられた税関倉庫を安藤忠雄が現代アートの美術館として改修・保存し蘇った。ほかにも改修ではないが坂茂が設計したノマディック美術館は輸送コンテナを構造体として、コンテナの規格寸法を空間の単位として仮設の美術館をつくっている。どちらも倉庫やコンテナヤードのヒューマンスケールを超えた巨大空間を存分に活かして魅力的な展示空間を構成している。

ノマディック美術館 画像:「Japan-Architects」ウェブサイトより

たとえば保育園を設計するときは子どもの目線で考えるし、犬小屋を建てるときは犬の目線で、巣箱をつくるときは鳥の目線で考えることもある。それと同じで、倉庫を設計するときには荷物の目線で考える。ユクスキュルは、すべての生物はそれぞれその生物ならではの器官で知覚している世界があるとして環世界の概念を提唱した。人間には人間の、マダニにはマダニの環世界がある。もしも生物だけではなく、ものにもそれぞれ環世界があるとするならば、倉庫について考えているとき、僕は荷物の環世界を追体験しようと試みているのかもしれない。

参考文献「東京港・港湾倉庫の世界システム」(渡邊大志、「10+1」ウェブサイト、2017年)/『ビルディングタイプの解剖学』(五十嵐太郎・大川信行、王国社、2002年)/「近代都市における倉庫の空間的変遷」(久保秀朗、2008年)/『日本建築史図集』(日本建築学会編、彰国社、2011年)/『世界時間1 物質文明・経済・資本主義 Ⅲ-1』(フェルナン・ブローデル、みすず書房、1996年)/『世界時間2 物質文明・経済・資本主義 Ⅲ-2』(フェルナン・ブローデル、みすず書房、1999年)/『生物から見た世界』(ユクスキュル・クリサート、岩波書店、2005年)

文:大野 友資
協力:熊田 秀敏
初出:2021年2月16日発行
『広告』vol.415 特集:流通

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