[T-003-2]雑誌『広告』著作号

  • 2020

振動する著作

予算を決め、ターゲットを決め、大きさを決め、手触りを決め、発注先を決め、あれを決め、これを決め、決め、決め……。

ものをつくることは決定の連続だ。

ときに決定を覆したり翻したりすることもあるけれど、原則は一方通行。最初はいろんな可能性をはらんで漠然としているイメージを、決定を重ねて可能性を収束させながら、具体的なアウトプットにまで持っていく。だから決定にはエネルギーを使うし、後悔をしたくないので必死で検証・スタディをする。つくり手が高い密度で決定を繰り返すほど、完成品の純度は上がっていき、強いメッセージ性を帯びるようになる。一般的には「いいもの」と言うと、こうやって何度も検討を重ねたもののことをイメージするんじゃないだろうか。つくり手としては、検討し、考察し、ときには直感にも頼りながら自分で決定を積み重ねることで、コンセプトから細部にいたるまで、徹底的にこだわり抜いたものを届けることができたなら理想的だ。ものづくりの手綱を最後まで緩めないことで、つくり手の意図を色濃く反映することができる。銘の入った包丁のように、つくり手とアウトプットが一対一で結びつくようなものづくりのあり方だ。

収束させるつくり方

このように、つくり手が明確に立っている著作に対して、つくり手が誰か不明瞭な、「他者」を介入させる前提の著作のあり方はないだろうか。あるとすれば、それはどういったものだろう。

ものづくりのプロセスにおいて「(自分で)決める」の対極に「(他人に)任せる」という行為がある。どこかのタイミング以降の決定を他者に任せるというのは想像以上に勇気がいることだけれど、イレギュラーでアンコントローラブルな他者を巻き込むことで、従来の決定のプロセスとはまた違ったおもしろさが生まれることがある。最後まで決めきるつくり方に対しての、最後まで決めきらないつくり方。そこにはどんな違いがあるのだろう。たとえばナイキは、自分でスニーカーの色や素材を選んでオーダーすることができるNike By You(旧NIKEiD)というサービスを提供している。自分だけのオリジナルスニーカーをカスタマイズできる人気のサービスだ。ナイキのデザイナーは、スニーカーのどの部分をカスタマイズできるかという決定や、シーズンごとの選べる素材や色のリストまではデザインするけれど、そこから先は一切関与しない。途中で他者が決定に介入してくるわけだから、最終的に届く完成品としてのスニーカーは「誰がつくったか?」という著作性が曖昧な状態になっている。

Nike By Youで作成したカスタマイズ例 引用元:「NIKE」ウェブサイト

こうしてものづくりの手綱を途中で手放すことで、従来のスニーカーデザインのように完成品としての「このスニーカーと言えばこの色! この形!」というような強いイメージは定着しない。その代わりに、オーダーする人の数だけバリエーションが生まれるような、もやもやとした可能性の塊のようなイメージが提供されている。きっかけによって無数のアウトプットが生まれるような、可能性がある一定の幅を持ってぶれている状態。つまり、「振動」をしているイメージだ。可能性の収束に対する、振動。ものづくりの過程で他者を介入させると、必然的にアウトプットに振動が起きる。決して新しい技術や手法というわけではなく、古今東西で見られるつくり方だと思うけれど、それを振動という状態、状況としてあらためて捉え直すと、ものづくりのヒントがたくさん転がっている。

振動させるつくり方

多数の振動している事例を分析していくと、意図的に振動を起こすためには、下記のポイントを意識する必要があることがわかってくる。これらはどれも、従来の最後まで決定を積み重ねていくものづくりとはまったく異なる視点/概念だ。

  • ・変えさせない部分を決める
  • ・群として捉える
  • ・自由度を与えすぎない
  • ・振動の先を予測する
  • ・誤解をおそれない

具体的な事例を紹介しながら、これらのポイントについて詳しく見ていきたい。

変えさせない部分を決める/アンカーポイント

振動の可能性の振れ幅は、つくり手がプロセスのどこまでを決めるのか、そしてどういう決め事を設定して手放すのかにかかっている。思いどおりに振動させるために、逆説的にここだけはぶれさせない、譲れないという「アンカーポイント」を設定する必要があるのだ。つくり手はそのデザインにもっともエネルギーを費やすことが求められる。南イタリアの内陸都市、マテーラ。街の西側にある崖のいたるところがサッシと呼ばれる洞窟住居として掘り抜かれ、世界でも有数の洞窟都市になっている。崖一面にびっしりと掘られたサッシはどれも不定形で、それらが集合すると獣の巣穴のような本能的な力強さと圧倒的な不可解さを感じずにはいられない。一方で、歴史的、地質学的にひも解いていくと、その配列や住居形式が実は一定のルールにもとづいた、緩い秩序のようなものを持っていることが明らかになってくる。

マテーラのサッシ 引用元:Flickr(Sassi3 vic15 CC-BY2.0)

この地に本格的にサッシを形成し始めたのは、イスラム教徒の侵入や偶像破壊主義者からの迫害を逃れて、8、9世紀頃にギリシアから移住してきた修道僧たちだった。自然の浸食作用でできたいびつな洞窟をうまく利用して、住居として整えたものがやがて広く普及していった。修道僧たちが洞窟を住居にするために設定したアンカーポイントは、「通風、採光の開口部は入口のみ」「奥に細長く伸びた薄暗いワンルーム」「入口付近に台所、中央にダイニング、いちばん奥に寝床の構成」という3点だ。以上のことを守っていれば立派なサッシになる。間取りは決まっているけれど、細かい寸法やディテールは決められていない。人々は修道僧がつくったこの最低限のアンカーポイントのなかでゆらぎながら崖の柔らかいところを思い思いに掘り進んでいき、結果として振動しながら不ぞろいに調和した魅力的な都市を築いていった。

洞窟住居の集合形式(直線型) 引用元:『都市を読む*イタリア』 (陣内秀信、法政大学出版局、1988年)224頁

細長くてトンネル状という特徴的な内部空間。実はこのアンカーポイント、マテーラだけでなく、南イタリアのほとんどの平地の住居にも当てはまるのだ。もちろん、平地の住居は地上に一から建てたものだけれど、内部空間のプロポーションや部屋レイアウトはマテーラとほぼ同じ。つまり、マテーラのサッシは、この地方の平地で一般的に親しまれている住居形式を崖に掘り込んだ結果生まれたものなのだ。南イタリアに住んでいる人からすると、サッシも平地の住居も住み心地はそれほど変わらないのかもしれない。同じアンカーポイントを持っていても、初期条件が平地か崖地かという違いが、最終的にまったく異なる風景を生んでいる。都市という、人が認識できるほぼ最大のスケールの単位で振動が起きている。

群として捉える/パラメトリックデザイン

振動の特徴として、アウトプットには無数のバリエーションが生まれる。だからこそ、アウトプット一つひとつを単体として評価するのではなくて、それらが集まって群として見たときにどうなるか、その風景をつねに意識する必要がある。振動によって生まれたアウトプットのバリエーションは、つまり、同じ遺伝子を持つ家族や親戚みたいなものだ。一つひとつはそれぞれ全部違うけれど、どこか確かに共通する因子を感じる。神社や寺などの社寺建築には、部材の寸法やその組み方、配置のし方などを定めた「木割」というシステムがあり、職人たちはその木割に従って建物を築いている。ユニークなことに、木割には具体的な数値による寸法は登場せず、柱の太さと柱同士の距離を基準とし、配置や組み方がすべて部材比例で定められている。たとえば「柱の太さは柱間の1/10ないし1/12とせよ」とか、「垂木は柱間に6本配置せよ」などといった具合だ。この木割のアンカーポイントを守れば、敷地が違って建物の間口が異なっても自動的にアウトプットをつくることができるし、同じアンカーポイントによる振動の結果なので、すべてがなんとなく似通ったものになっていく。

『日本家屋構造』(斎藤兵次郎、信友堂、1904年)に記された木割書 引用元:国立国会図書館デジタルコレクション

木割を定めている文字の羅列は、まるでコンピュータアルゴリズムだ。パラメータを変えながら多様なアウトプットを生み出す、いわゆる「パラメトリックデザイン」という手法がものづくりの分野にも見られるようになってきたけれど、伝統的な建築のつくり方と、最新のデザイン手法に根本的に共通するものが見られるのはとてもおもしろい。

愛媛県南宇和郡西海町の外泊集落 ©Yukio Futagawa  引用元:青森県立美術館プレスリリース「日本の民家 一九五五年 二川幸夫・建築写真の原点」

建築において、敷地条件がまったく同じということはありえないので、たとえば隣家同士であっても、木割によって少しずつ違う建物が出てくることになる。そうしてできた集落は、同じ建物はひとつとしてなくても、右の写真の外泊集落のように確かなまとまりとして認識することができる。建築におけるスタイル(様式)は、まさにこのようにして生まれていく。優れたアンカーポイントから生まれる、個人の認識を超えた大きく遥かな振動は、建築様式さえも生み出すような、文化になりえるのかもしれない。筆者も、2011年から担当している東京藝術大学美術学部建築科の授業のなかで、この木割と同様、パラメトリックデザインをテーマにした課題を毎年出している。

「1,000,000 vases in 1 second」

「1,000,000 vases in 1 second(1,000,000個の器を1秒でつくる)」という課題で、器単体をデザインするのではなく、器のバリエーションが無数に出てくる造形のシステムを提案してもらう。学生が提出する作品は器の群と、それを生み出すプログラムのセットだ。群が完全にバラバラでランダムに見えるようなものもあれば、ちゃんと仲間っぽく見えるものもある。大事なのはそれが自分で意図した振れ幅なのかどうか。いま自分が決めているルールがその後どのような振動をしていくのか、その振れ幅をコントロールすることを目的としている。

自由度を与えすぎない/可能性の発散

振動を生み出そうとして無責任に「ここから先はなんでもやっていいよ」という任せ方をすると、せっかく絞った可能性が再び無限に増えてしまい、何も決めていないのに等しい。物理的にも心理的にもアンカーポイントを決めないままプロジェクトを手放すと、自由度が高すぎて可能性が無秩序に「発散」してしまうのだ。あくまでつくり手が「こういうときには、こうしてね」「この範囲のなかから選んでね」などといったルールを定めた上でその先を任せることで、可能性は発散せずに振動してくれる。建築家のアレハンドロ・アラヴェナ率いる設計事務所エレメンタルは、低所得者向け集合住宅キンタ・モンロイを設計するときに、あえて「ボリュームの半分を余白として外部に残す」ことで、そこに住む人が自由に増築をしていいような空気をつくり出している。何もない、余白の空間を、住人が色も素材もバラバラなDIYで埋めていく。竣工した当初は均質でミニマルな印象だった建築が、自分ごととして住みこなされてポジティブな雰囲気をまとっていく。

建築時のキンタ・モンロイ住宅 ©Cristobal Palma/Estudio Palma  引用元:「ArchDaily」ウェブサイト
増築後のキンタ・モンロイ住宅 ©Cristobal Palma/Estudio Palma  引用元:「ArchDaily」ウェブサイト

建築において、完成とはいつを指すのだろう。キンタ・モンロイでは明らかに、増築を見越した設計がされている。アラヴェナが、増築されカスタマイズされたこの風景を目指しているのだとすれば、設計図によって完成する状態はものづくりの途中にすぎない。

竣工≠完成というと、何かあたりまえのことを言っているように感じるけれど、アラヴェナの建築には、住民の増築によって発散してゲットーのような状態にさせない意図が強く込められている。自由に増築させたいなら、何もないオープンスペースをつくればいいのかというと、そうではないのだ。アラヴェナは、巧みな設計によって、振動させる場所とさせない場所を明確に切り分けている。その先読みのバランス感覚が、キンタ・モンロイの豊かな風景を生んでいる。人を惹きつけるような振動を起こすためには、決して偶然や自然発生に任せるのではなく、明確な意図によってデザインする必要がある。キンタ・モンロイと同じような思想で、筆者も壁かけ家具のシステムを提案したことがある。日本の伝統的な木工のジョイント技術に、組木というものがある。木材の端部を雄と雌の形状に彫り、お互いにはめ合わせながらつないでいく技術だ。その技術を活用して、渋谷のとあるオフィスに「組木の雌側が整然と並んだ壁」を設計した。雄側は、用途に応じてその都度デザインして、3Dプリンターで出力したものを組み合わせて使用する。コートハンガー、トレイ、ケーブルラック、カップホルダーや一輪挿しといった具合に、ユーザーが必要としてからデザインが完結する仕組みだ。

「組木の雌側が整然と並んだ壁」
「組木の雌側が整然と並んだ壁」の構造

とてもフレキシブルで使いやすそうに思える反面、3Dプリンターは原則どんな形でも出力できてしまい、自由度が高すぎてそのままでは逆に使いづらくなってしまう。使い方を発想するコストが高くなってしまうのだ。そこで、このような発散を抑えるために、何点か雄側のお手本をあらかじめつくっておくことにした。そうすることで、使い手はすでにあるデザインをとっかかりにして応用したり連想したりしやすくなる。自由度が高くなりすぎないように、最初にある程度使い方のイメージを誘導する。こうやって可能性の補助線を引くような工夫は、振動をコントロールするためにとても有効だ。

振動の先を予測する/千里眼的審美眼

グラフィックの分野では、ジェネラティブデザインと呼ばれる手法で、ものづくりの分野よりも比較的早い段階で振動するデザインが取り入れられている。ルールを設定することで、媒体の形状に応じて、その都度自動的にグラフィックが生成されるような手法だ。オランダのデザインチーム、エクスペリメンタル・ジェットセットが手がけたニューヨーク、ホイットニー美術館のビジュアル・アイデンティティ(VI)は、ジェネラティブデザインのなかでも傑作のひとつと言われている。

ホイットニー美術館のVI  引用元:「エクスペリメンタル・ジェットセット」ウェブサイト

彼らが提案したのは、「ホイットニーの頭文字Wを表す4本の線を画面やポスターのサイズに合わせてフレキシブルに変形させる」というものだった。エクスペリメンタル・ジェットセットのダニー・ヴァン・デン・ダンゲンはインタビューで次のように語っている。

「作品によって、毎回、Wの形は変わります。これはとても有機的なデザインだと言うことができるでしょう。周囲の要素により常に形を変えていくからです。(中略)私たちがホイットニー美術館のためにしたことの大部分は、グラフィック・アイデンティティのインストラクション(指示書)の制作であり、独自のグラフィック言語をつくったことです。この美術館にはインハウスのデザイン部門があり、私たちのインストラクションに従って彼らが独自にデザインしていくことが、プロジェクトの前提でした。これは私たちには初めての経験で、分厚いマニュアルをつくるのは簡単なことではありませんでした」

出典:『Penオンライン』エクスペリメンタル・ジェットセット、情報を的確に伝える“線と形”

単に美術館のロゴをデザインするのではなく、それが自らの手を離れていったあとも多様なアウトプットとして展開していけるようなマニュアルをデザインする。ただし、彼らは無責任にデザインを手放しているのではなく、展開後の無数のアウトプットの可能性を事前に徹底的に検証しつくすことで、どういったルールにすればベストな振動を起こせるのか、確信を持って手放している。振動によって生まれる多様なアウトプットを事前にすべて想像しつくすことは簡単ではない。だからこそ、ホイットニー美術館のVIは強度を持った名作となりえたのだし、この「千里眼的審美眼」とでも言うべき批評性こそ、発散を防ぎ、優れた振動を生み出すためにもっとも必要なもののひとつだ。

誤解をおそれない/ハプニングとジャンプ

反対に、まったくアウトプットをコントロールせずに、予想外な振動を楽しむこともできる。それこそ、手放した先の相手が誤解や曲解をすることで、つくり手の想像を超えたものができる可能性もあるのだから。従来の収束させていくものづくりにはない、振動の醍醐味のひとつだ。

少し前にNHKで放送されていた『妄想ニホン料理』という番組がある。「日本料理を見たことがない外国の料理人が、もし簡単な説明だけをもとに日本料理をつくることになったら、どのような妄想をするのか」というテーマで、毎回海外の有名レストランのシェフや地元の大衆食堂の料理人が最低限(もしくはそれ未満)の情報で彼らの知識と経験を頼りに料理をつくる。「メロンパン」を、フランスの国家最優秀職人章(M.O.F)の称号を持つ職人フレデリック・ラロスにつくってもらう回があった。番組から与えられたメロンパンのアンカーポイントは、「メロンのパンという意味であるが、メロンは使わない」「口のなかでくっつくことがある」「上から触ったときと下から触ったときとで触感が違う」の3つだ。

フレデリック・ラロスがつくったメロンパン 引用元:『妄想ニホン料理』(NHK「妄想ニホン料理」制作班、KADOKAWA、2015年)

これがメロンパンのすべてではないし、ツッコミどころもあるけれど、確かにメロンパンの要素をうまく抽出している。この3つのポイントだけは外さないように、フレデリックは妄想を膨らませながら彼なりのメロンパンをつくり上げる。最終的にできたものは、抹茶とレモンピールで風味づけされた美しい球状のパンだった。

これだけは外してはいけないという3つのポイントをどう抽出するか、つまりアンカーポイント3点をどう設定するか、がアウトプットのおもしろさの大部分を決めていると言ってもいい。料理人による誤解や曲解は歓迎する。その3点さえ守っていれば、彼らにとっては立派なメロンパンなのだから。だからこそ、番組側はおもしろいハプニングやジャンプを生むようなアンカーポイントを考えなくてはいけない。

それともう1点、番組はアウトプットに関してはコントロールしていないけれど、振動を託す相手は綿密にディレクションしている。同じレシピでつくってもらうにしても、腕の確かな料理人がやるからおもしろい。削ぎ落とされた3点のアンカーポイントの間の余白を、その道を突きつめた人が妄想するからこそ、優れた振動が生まれている。情報をどこまで、どう、誰に伝えるか。ときには誤解や誤用をわざと招く伝え方をしてもいいかもしれない。あたりまえのようだけれど、魅力的な振動を起こすためにはその部分にもっともエネルギーを割いて考える必要がある。

アウトプットのバリエーションが無限に発生するので、環境のなかで自然発生したもののように見えることがあるのだけれど、ここまで見てきたように、振動にはちゃんとつくり手=著者が存在する。著者が理性的な意思、意図にもとづいて、ものづくりのプロセスに他者を介入させることで起こしている状態なのだ。

マテーラにサッシを築き上げたギリシアの修道僧たちや、木割書をまとめた江戸時代の匠は、振動をデザインすることで魅力的で力強い風景をつくり上げた。エクスペリメンタル・ジェットセットもアラヴェナも『妄想ニホン料理』のディレクターも、手を放したあとのプロジェクトが振動している状態をまるっと抱え込んで、自らの作品と呼べるものを生み出した。

繰り返しになるけれど、振動は自然発生の産物ではない。あくまで誰かが著者として高度な知性を働かせることで成立している著作だ。ただし最後まで面倒を見ない、緩い著作。著作性を緩めることで生まれる余白や余裕がアウトプットを振動させて、もの単体を超えて文化にもなりえるくらいの圧倒的な強さを生むのだろう。異なる可能性の残像が、揺れて、ぶれて、振動しながら幾重にも重なっていく。そのときにデザインの対象としているのは、物体ではなく、状態だ。時々刻々と柔らかく振動しながら形を変えているようでいて、少しの刺激で形がカチッと固定されてしまうような、危うさや不可解さ、曖昧さをはらんだつくり方に、つくり手としてどうしようもなく強く惹かれている。

CC BY-ND 4.0(表示-改変禁止4.0国際)
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[利用の際の記載例]
「CC BY-ND 4.0に基づいて『原稿タイトル』(著者名)を掲載」https://creativecommons.org/licenses/by-nd/4.0/deed.ja

文:大野 友資
初出:2020年3月26日発行
『広告』vol.414 特集:著作

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